鬼神衆紹介

鬼神衆とは

■1996年秋。慣れ親しんだ和太鼓の響き、和太鼓文化の発達した伊勢の国は四日市に、鬼神衆の前身「魂威」が誕生しました。伝統の響きを模索する「魂威」は、地域の子ども達や父兄とともに四日市の駅前を本拠地として活動していました。

1999年夏。四日市の夏祭りを活動の場としていた魂威に転機が訪れます。時は世紀末に向かってカウントダウンの始まる頃、21世紀に向けての数多のイベントの中で、魂威に「従来とは違う」演出や楽曲、ダンスや他楽器とのコラボレーションなどが求められ、活動の幅を広げざるを得ない状況が作り出されて行きました。

伝統を重んじる邦楽であるからこそ、新しい一歩を踏み出すには勇気が必要でした。批判や中傷を受けながら、「観る者に必要とされる演者になる」ことを信念に夏の四日市祭りでオリジナル楽曲を披露。演奏後、一瞬の沈黙があった後に沸き起こった経験の無い歓声に勇気付けられて次の一歩を踏み出す勇気を頂きました。

その後、団体名を「魂威」から「鬼神衆」に変更。伝統の中に舞い降りた必要悪であるところの「鬼」に姿を変えて、夏だけではなく年中無休で各種イベント・セレモニーに奔走しています。一方、団体のプロデュースやメンバーの育成の延長として学校や地域サークル・企業にオリジナル楽曲を伝授する活動を続け、教育委員会からの依頼で講師として総合授業を受けもつなど和太鼓の裾野を広げる活動に精力を傾けています。

「鬼神衆」の由来は?

時折ぶつけられる問いに我々はこう答えます。「鬼」は「人神」自らの心に在る耐え難い衝動が人の姿を借りたもの。鬼神衆は人々の衝動そのものとして、抑圧された人間たちに真実を叩きつけるのが存在意義であると。

必要悪 鬼神衆

伝統芸能というジャンルは多岐に渡り、それぞれが長い歴史を刻んだ上に成り立っています。それは文化を構築する上で本当に素晴らしいことではありますが、その反面、馴染みの無い人々には敷居の高いものになってしまう傾向があります。しかしながら、その切り口を変えて「大衆演芸」にしてしまうのは代々この伝統を組み上げてきた先達に対する冒涜である…そういう理由が太鼓を「ありがたいもの」に変えてしまいました。

「観る者に必要とされる演者」を目指す鬼神衆は、敢えてこの体制に背を向けました。先達への無礼は承知の上、それでも我々の愛する「太鼓」を沢山の方々に心から楽しんで頂くために鬼神衆は「悪役」となる覚悟を決めております。

昔話の時代から「鬼」は忌み嫌われる存在でした。しかしながら「鬼」は、人の心に棲む「隠したい部分」の具現化であるとも謂われています。普段言いたくても言えないこと、思っていても伝えられないこと、そのもどかしさを縛り付ける「何か」を鬼神衆は代わりに解き放ちます。

これからの鬼神衆

必要悪・鬼神衆にも、その意志を色濃く受け継ぐ若者達が増えてまいりました。鬼神衆を形作り、何らかの理由で一線を離れていた者達も徐々に古巣へと戻ってきています。魂威から数えて結成19年目を迎えた今年、10年目に企画しながらも実現を見なかった「能動的演奏活動」を目下の目標として精力的に活動を続けてまいります。